神社の始まりの歴史

「神社の歴史に興味がある」
「現在の神社はどうやってできたのか知りたい」
「神社本庁って何?どこにあるの?」

日本各地に神社はたくさんありますが、その歴史の始まりは自然崇拝から始まっています。
自然のあらゆるものに神が宿っていると昔の日本人は考えていて、特に大きな木・岩・山などいろいろな自然に神が存在していると考えたのです。
その神の宿った自然に対して、四季折々に祭りを行うなどしたことで、崇拝対象になった木・岩・山があるところは通常とは異なる、神聖な場所であるという印に注連縄で区切ったり、石で囲いを作ったことが神社の始まりだとされています。

関連記事:【まとめ】神社と寺院の違いとは?

【関連】神社本庁 公式チャンネル JINJA HONCHO

奈良時代における神社

奈良時代に入ると、律令制度が整うことで、全国各地で祀っていた場所を神社として朝廷が組織化させて人々を掌握するための手段の一つとします。
祀った場所の司祭などがその場所の長をしているケースも多く、祀る場所をより整った立派な社などを再建し始めます。
諸国の祀る神のうち同族の神は国家神と認められ、再建されたところを官社と呼ぶようになっていきます。
年の初めに収穫を祈るための祈念祭には、朝廷から神に奉献する供物である幣帛が奉られるようになります。
それらは神名帳に記されることで、朝廷および全国の祭祀を担当する神祇官が掌握したとされます。
奈良時代は朝廷が日本古来の信仰を掌握するのと同時に、中国から伝わった仏教もますます繁盛してきます。
朝廷は諸国の神社に寺院を設けたり、仏自体を神と同座にさせることや僧侶を置くことで神宮寺として神仏を同格に扱うことで神仏習合という形になっています。

信仰の強い神が一定の地域を超えて祀られる

平安時代の神名帳では官社としては二八六一社があったと記録されています。
現在でも社の案内などでは式内社というものがありますが、これは官社として登録されているところであるという意味です。
平安初期まではそれぞれその土地の氏神信仰がメインで祀られていましたが、中期ごろになると信仰の強い神が一定の地域を超えて祀られるようになるという変化が現れます。
代表的な神様は天神・八幡・稲荷が挙げられます。
天神は、平安時代に活躍した政治家・学者の菅原道真公を祀っている場所です。
陰謀によって大宰府に左遷され死去したのち、無実が証明されたことから天満大自在天神という神の位を贈られ、学問の神になって現在でも崇敬を集めてます。
八幡は応神天皇を祭神にしています。
武運の神として根強い信仰を集めていて、全国で初めて境内に神宮寺弥勒寺を建設したのも八幡神社の総本宮です。

商売繁盛・家内安全・五穀豊穣で人気な稲荷

商売繁盛・家内安全・五穀豊穣で、人気なのが稲荷です。
祀られているのは倉稲魂命という食べ物を司る上で、屋敷神としても知られています。
稲荷を狐と連想する人も多いですが、これは食べ物の神である御食津神を三狐神と表記したのが由来で正しくは、狐の神様ではなく神のお使いが狐です。
鎌倉〜室町時代は武士時代に突入することで、幕府が神仏を保護して寺社奉行が社寺関係の事務を担当し始めます。
しかし、南北朝以降は国家の力が弱くなることで社寺を保護するなくなっていき、きちんと管理することが難しく荒廃することも増えます。
しかし、一般市民の信仰心は篤く伊勢講や熊野講などの講と呼ばれる組織がいくつも出来上がり盛り上がります。

安土桃山時代は各地の社寺は荒廃する

安土桃山時代は、戦国時代になることで各地の社寺は荒廃します。
織田信長は宗教に対して厳しいというイメージの強い人ではありますが、豊臣秀吉などと共に造営費を寄進するなど困窮した社寺を保護することに熱心だったとされています。
宗教に対して厳しいのは兵力で干渉してくるところに対してだけで、他の権力者と強固な利害関係を築くための戦略の一つとして社寺への配慮を行っています。
秀吉は天下統一後に行った太閤検地では社寺領も対象になっていて、検地を行ったのちのどの社寺領も没収され、朱印状による石高を持って全国の神社に寄付します。
このような配慮がのちの徳川幕府の基礎となったのです。
江戸時代になると徳川幕府は国家政策として全国に寺を建設し、檀家と寺との関係を強固にしてしていき国家をより強力な組織へと作り上げます。

明治時代に天皇家の崇高する信仰は神道に決められる

その影響で従来の官社はより仏教色が強くなっていき、神仏習合が進んでいきます。
ただし、地元に根付いた鎮守の森で祀られるような氏神は大衆信仰としてますます地域に根ざすようになり、四季折々の中で人々が祈ったり、収穫を感謝するなど盛んになります。
明治時代になると、天皇家の崇高する信仰は神道であると決められます。
廃仏毀釈で神仏を分離して寺と社は分けられるようになり、神道を国教としたのです。
国民は神道と仏教を同時に崇拝することになれていることから、近代になっても同化して信仰しているケースは珍しくない状態となっています。
仏教でお葬式をしたり、初詣に行くという習慣を違和感なく受け入れています。

まとめ

また、外国の行事であるクリスマスを祝ったり、結婚式の形に至ってはいろいろな選択肢があります。
自然崇拝から始まったものは、柔軟に形を変えて今までもこれからも続いていくと考えられます。